「天井桟敷」という言葉を聞いて、この映画を思い出すか、寺山修司を思い出すか、全く違う何かを思い浮かべるか、はたまた何も感じないかは、それぞれの年齢ややってきたことにも大いに関わる気がする。
私は両方(映画と劇団)思い出すけれど、やはり映画の方が天秤にかけたらやや重いかな。
映画は観る前から、何故かタイトルだけは知っていた。多分私の心に引っかかったまま、印象強くどこかで引きずっていたのだと思う。
1945年の製作で、既に半世紀以上たっている。マルセル・カルネという監督です。
フィルムはもちろんモノクロで、私には「ペーソス」という普段会話には使うことのない表現がピンとくる。それから壁から誰かの生活を除いているような錯覚も覚える。
多分家の中の数回の引越に耐えたダンボールのどこかを探せば、このビデオテープが見つかるかもしれない。
1980年代の終わり、東京から福岡へ引っ越すという友人の部屋の中にあって、深夜のTVを録画したらしい2本にまたがったそれは、うすく自信のない文字で鉛筆でタイトルが書かれていた。ただ「桟敷」という漢字が正しく書かれていただけでもそれはいつも私にとっては関心の的でもあった。その友人は荷物をまとめると、面倒なのかビデオテープを残した。その中にそれも入っていて、私は全て引き取る羽目になる。
その後機会あるごとに何度もテープを整理したけれど、ビデオテープはいつも「捨てる」ではなく「残す
」の方によけられた。ラベルも以前テプラが流行った頃に貼り替えた。でもそのテープの持ち主は実はその友人ではなく、鉛筆の文字の主が別にいた。もしかしたら探しているかもしれない・・・と思いつつ、そのままになっている。
もう今更どうでもいいことばかりだけれど、「残す」の方によけたと言うことは、私自身また観る気があるのかいつか返そうと思っているのか、自分でもよく分からない。そのうち朽ち果てるかもしれない。